宇都宮二荒山神社について

宇都宮二荒山神社は、栃木県宇都宮市の中心部に鎮座する歴史ある神社です。下野国一の宮として古くから崇敬を集め、式内社(名神大社)論社に数えられます。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社となっています。
正式名称は「二荒山神社」ですが、日光市の二荒山神社との区別のため「宇都宮二荒山神社」と呼ばれています。地元では親しみを込めて「二荒さん」の愛称で知られています。
鎮座地と由来
神社は宇都宮市中心部の明神山(臼ヶ峰、標高約135メートル)山頂に位置しています。境内はイチョウ、桜、もみじなどの木々が茂り、都市部とは思えない緑豊かな空間が広がっています。
「宇都宮」という地名は、この神社が下野国一の宮であったことに由来するという説があります。「一の宮(いちのみや)」が転訛して「うつのみや」になったとされ、宇都宮市の市民憲章にも「二荒の森を中心に栄えて」と明記されています。
御祭神と創建の歴史

主祭神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)です。第十代崇神天皇の第一皇子で、東国を開拓し毛野国(現在の栃木県・群馬県)の始祖となった人物とされています。相殿として大物主命と事代主命が祀られています。
社伝によれば、創建は仁徳天皇41年に遡り、約1600年の歴史を持ちます。豊城入彦命の四世孫である奈良別王が、下野国国造に任じられた際に祖神を祀ったのが始まりと伝えられています。
遷座の歴史
当初の鎮座地は現在地の南方約200メートルの荒尾崎(現在の摂社下之宮の場所)でした。承和5年(838年)に現在の臼ヶ峰に遷座されました。この遷座の故事にちなんで、毎年12月15日の冬渡祭と1月15日の春渡祭が行われており、いずれも「おたりや」と呼ばれています。
武将の信仰と戦乱の歴史
豊城入彦命は武徳にも優れていたとされ、多くの著名な武将が戦勝祈願に訪れました。藤原秀郷、源頼義、源義家、源頼朝、徳川家康などが戦勝祈願し、神領の寄進や社殿の改築を行ったと伝えられています。
平将門の乱では藤原秀郷がこの神社で授かった霊剣をもって将門を討ったという伝承があります。また『平家物語』には、那須与一が屋島の戦いで扇の的を射る際に「日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神」と祈ったと記されています。
火災と再建
神社は長い歴史の中で何度も火災に見舞われています。近世以降だけでも天正13年、安永2年、天保3年と火災があり、古い記録の多くが焼失しました。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、土方歳三らの旧幕府軍が神社を拠点として宇都宮城攻防戦を繰り広げ、社殿が焼失しました。現在の社殿は明治10年(1877年)に再建されたものです。
年間の主な祭事
宇都宮二荒山神社では、年間を通じて様々な祭事が執り行われています。宇都宮市内の祭りはそのほとんどが二荒山神社に関連したものとされ、市民生活と深く結びついています。
- 4月:花会祭
- 6月:大祓式
- 7月:須賀神社天王祭
- 10月:菊水祭(寛文13年(1673年)から続く最も賑やかな祭り)
- 12月15日:冬渡祭(おたりや)
- 1月15日:春渡祭(おたりや)
文化財と見どころ
神社には貴重な文化財が所蔵されています。国の重要美術品に指定されている鉄製狛犬と三十八間星兜があります。また、栃木県の有形文化財として本殿、拝殿、女体宮、神楽殿、神門、東回廊などが指定されています。
江戸時代中期に起源を持つ二荒山神社の神楽は、栃木県の無形民俗文化財に指定されており、毎年1月・5月・9月の3回奉納されています。
現代の取り組み
境内には本社のほかに十二の末社が祀られ、安産や学問などの様々な信仰を集めています。今日でもお宮参り、七五三、お正月など、人生の節目には多くの市民が参拝に訪れます。
餃子の街として知られる宇都宮らしく、神社には「餃子おみくじ」が用意され、参拝客の人気を集めています。また、2020年には門前町の活性化を目的として「宇都宮二荒山神社御用達」看板が製作され、地元商店街の振興にも貢献しています。
アクセス
JR宇都宮駅から関東バス、ジェイアールバス関東の路線バスで「馬場町・二荒山神社前」または「二荒山前」バス停下車すぐです。東武宇都宮駅からは徒歩約10分でアクセスできます。
アクセスマップ|二荒山神社
宇都宮市の中心部に位置し、北関東随一の都市における「都会のオアシス」として、市民や観光客の心を癒す存在となっています。